神と人との間を吊り合うマツリ・・・縄文模様に観る日本人の生命観
浅草の三社祭りに長らく出ていたが、糸魚川のけんか祭りも同様に祭りの後は暫くボーとしている。
有名な東京日本橋の鳶頭の山下政五郎さんですら、祭りの後は一週間はボーとして仕事にならねえ、と言っていた。
政五郎親分は、正月二日の三越デパート前の出初式でインタビューに答えている、江戸消防保存会の会長だ。
寺町区の鶏爺さんが拝殿で礼拝を終え、神からチカラを授かり「ウオー!」と雄叫びを挙げている所だ。(友人が撮影)。ジョウバが二列になって鶏爺さんを護っている状態がよく解る。
現在の私は、風邪の引き始めの時の症状に似ていて、体がだるくて眠たいし、頭がボーとして難しい事を考える事ができない状態。
私は整体協会で整体を学ぶ教授資格者だから、こんな祭りの後の状態を「男の生理」と表現している。
女性は月に一度の生理があり、古い身体を毎月更新して新しく生まれ変われる事ができるので、男より長生きする訳ですな。
因みに女性の生理の場合は、生理二日目が最も骨盤が開いて頭がボーとしいる状態で、それは話しているだけでも解る。
男はそのような身体の掃除機能を持っていないので、祭りで生まれ変わるのだというのが私の持論。
春日大社の宮司さんの著書によると、マツリとは「人は神からイノチを別けて頂いて生まれてきたが、イノチは時と共に衰えていく。だから神と人との間を吊り合う事で、神から新しい生命力を頂くのがマツリであり、間を吊り合うというのがマツリの語源なのでR!」という事らしい。
伊勢神宮の二十年に一度の遷宮も同じ意味との事・・・生まれ変わって永遠にイノチを繋いでいく。
糸魚川産の蛇紋岩で作った石笛に、縄文模様を漆で施した。左は二重反転螺旋紋、右が鋸歯状紋で、生きて死んで永遠にイノチが連鎖していく様を現した模様だと思う。つまり時の流れ・・・漢字の時とは、脈動を現す表意文字で、インドでは時をカーラと呼び、それは神の異名でもある。古代人にとって、時は脈動する人智を超えた神なる存在なのである。縄文人は、生きる事自体が神と共にあるマツリじゃなかったのかな?だからこそ私は縄文文化に惹かれるのだ。
個を越えた、現生利益とは無関係で無自覚な道徳律と不文律、そして身体観と世界観が日本文化の基層にあり、その代表がマツリなのだと思う。
マツリは生まれ変わりの儀式・・・そしてボーとしている時期はサナギの状態で、男たちはこれから新しく生まれ変わって、この一年を懸命に生きていくのだ。
縄文土器に施される事の多い、二重反転螺旋や鋸歯状紋もそんな意味が籠められていると思う。
投稿者プロフィール

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ヒスイの故郷、糸魚川市のヒスイ職人です。
縄文、ヒスイ、ヌナカワ姫の探偵ごっこをメインにした情報発信と、五千年前にヒスイが青森まで運ばれた「海のヒスイ・ロード」を検証実験する「日本海縄文カヌープロジェクト」や、市内ガイド、各種イベントの講師やコーディネーターをしています。
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