八十三歳の漫才師、あした純子に会った日・・・寄席の世界

整体協会の指導者クラスの講座に参加するために、二年振りの上京。

根っからの落語と映画好きだから、こんな時には時間を作って寄席や映画館に行く。

池袋演芸場に行ったら前座さんが高座に上がっている最中。

噺の邪魔をしたくなかったので、次の噺家さんに交代するまでの間は喫煙所で煙草を吸う事にした。

これは噺家さんへの敬意であり、寄席のマナーだ。

喫煙所でなんと、元祖どつき漫才の「あした純子ひろし」の純子先生が煙草を吸っていた。

池袋演芸場は、楽屋入口がロビーの喫煙所の前なので、よくこんな事がある。

因みに寄席の世界では、落語家の敬称は師匠だが、落語以外の漫才・太神楽・手品などの演芸家の敬称は、先生とするのが習わしだ。

純子先生と煙草を吸いながらサシで芸談を聞かせて頂く幸せ!

「男は~、あなた ひろしっ!」と、恰幅のいい純子さんが、いかにもひ弱そうなひろしさんをブッ飛ばす芸も、ひろしさんが九十歳を超えて足腰が弱って引退状態。

「煙草吸ってる写真撮っちゃうのう?アハハハハ、あなたも物好きねえ~」と純子先生。いかにも浅草生まれの浅草育ちらしい竹を割ったような気風のいいおばあちゃんでした。御年八十三歳の現役漫才師であり、芸歴七十年近い昭和の寄席演芸の生き証人。

 

だから最近は東京漫才の大御所、「昭和のいる こいる」の、こいる先生とコンビを組んでいるそうだ。

「のいるこいる」と言えば、真面目なのいるさんが説教して、軽いノリのこいるさんが「ハイハイハイッ!」と軽く両手を振る芸で受けているコンビだが、のいる先生も酔っぱらって自転車でこけて両足を複雑骨折で療養中なんだそう。

高座での純子・こいるコンビは、お互いの持ち芸をアレンジしながら応酬していたが、ちょっと危なっかしい(笑)

でも寄席のお客さんは、多少の間の悪さや空回りも温かく見守って笑っていた。

寄席っていいもんだ。

 

 

 

投稿者プロフィール

縄文人見習い
縄文人見習い
ヒスイの故郷、糸魚川市のヒスイ職人です。
縄文、ヒスイ、ヌナカワ姫の探偵ごっこをメインにした情報発信と、五千年前にヒスイが青森まで運ばれた「海のヒスイ・ロード」を検証実験する「日本海縄文カヌープロジェクト」や、市内ガイド、各種イベントの講師やコーディネーターをしています。

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