アメ横グラフティ・・・江戸っ子体験ならここ!
学生時代、色んなアルバイトを経験して社会勉強しようと思ったが、最初のバイト先のアメ横に嵌ってしまって、卒業まで同じ店で働いていた。
子供の頃から落語好きなので、江戸っ子らしくっていいや、てなもんだ。
JR御徒町駅からアメ横に入った最初の魚屋「浜屋食料品店」がそれで、角地という立地条件と、魚の鮮度が保ちにくい夏は野菜や果物を主体、冬は魚を主体に売るという経営方針が当たって、当時はアメ横一の売り上げを誇っていた。
現在の浜屋。当時より社員は半分だし、撮影時の夕方なら人混みで写真を撮る事が出来なかったくらい。あの威勢が良くて、「飲む打つ買う」が大好きな人間臭い男達は何所に行ったのだろう???三十代までなら照れ臭くて近寄る事もできなかったが、もう私の事を知っている社員もいない。
浜屋は、生鮮食品の単位売場面積売上が世界一として、ギネスブックにも載った事もあるらしい。
アメ横で働いている人は下町出身者が多く、気が荒くて喧嘩っ早いのだけど、威勢と気風が良い人が多くて、毎日が祭りみたいで楽しかった。
暮れの繁忙期になるとケンカ沙汰も多く、詳細は内緒だけど警察騒ぎもあった。
私も若い頃は喧嘩っ早くて、バイト連中に横柄な態度を取る社員と殴り合いの喧嘩をして、バイト仲間には喝采を浴びた。
そして、他の店の人からも「あの野郎と喧嘩したんだってえ?嫌な野郎なんだよう。殺しちゃえば良かったのに!」と褒められた(笑)
買い物客の数は往時に及ぶべくもないが、外国人観光客が増えたので、スタバのトイレにはこんな表示(笑)
下町の住宅街には連れ込み宿が多いのだけど、最近は外国人専門の旅館に商売替えする所が多いのだそう。因みにKOASANとは、バンコクの有名な安宿街の事。
浜屋には、一部上場の有名企業を辞めて社員になった人が多かった。
学生時代にアメ横でバイトした人が大企業に就職すると、年功序列の組織に息苦しさを感じて、アメ横に戻ってくるのだという。
バイトと言えども、仕事を覚えると即戦力として仕事を任されるのがアメ横流で、私も仕入値が幾らだから、幾ら利益がでればいいので、売値はお前が決めろ、と言われたので意気に応えた。
暮れは近所のビジネスホテルに泊まり込んで、早朝の仕入れと開店準備をする選抜メンバーにもなった。
だから就職が決まった時には、店長から飲み屋に連れていかれて社員になれと口説かれたもんだ。
誘いを断ると、就職しても他の連中みたいに何年かしたら、アメ横に戻ってくるぜ、と言われた。
あれから三十年・・・未だアメ横には戻っていない。
投稿者プロフィール

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ヒスイの故郷、糸魚川市のヒスイ職人です。
縄文、ヒスイ、ヌナカワ姫の探偵ごっこをメインにした情報発信と、五千年前にヒスイが青森まで運ばれた「海のヒスイ・ロード」を検証実験する「日本海縄文カヌープロジェクト」や、市内ガイド、各種イベントの講師やコーディネーターをしています。
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