我らが五千年前の親戚・・・朝日町の不動堂遺跡
このブログで何度も紹介している、糸魚川市の長者ケ原遺跡とそっくりな性格を持つ縄文遺跡が、お隣の富山県朝日町にある事を知っている糸魚川市民がどれだけいるだろうか?
長者ケ原遺跡と同時代の国指定「不動堂遺跡」がそれで、どれだけそっくりかは以下の通り。
①ヒスイ加工拠点遺跡である事。
富山県といっても新潟県境から車で20分前後の距離であって、付近の海岸からは糸魚川と同じくヒスイや磨製石器素材の蛇紋岩類が採取できて、原石や未成品が多く出土しているのだ。
またヒスイ加工が盛行する以前の前期(六千~五千年前)から、自家消費を上回ると推測される量の蛇紋岩類(透閃石など)の磨製石器が出土しているのも、長者ケ原遺跡と同様。
遺跡近くの売店にはヒスイに似せたチョコが売られていた。6キロ少し離れた越中宮崎海岸の国道8号線には、「ヒスイ海岸」の大きな看板もある。富山に比べたら、新潟は常に後手に回っている。富山人は逞しい。
②火焔型土器が出土している事。
越中にありながら、越後形の火焔型土器が出土している。遺跡から最も多く出土するのが北陸系土器である事も長者ケ原遺跡と同様。
③ロングハウスの存在。
ロングハウスとは、通常の竪穴住居より大き目な細長い建物で、民俗例では集会所や共同作業場、祭祀場、貯蔵所などで、日本の縄文時代では雪国に特徴的な遺構である。
国内で最初に発掘された縄文時代のロングハウスは長者ケ原遺跡だが、不動堂遺跡のロングハウスはその倍以上もあるような、長径約17m×短径約8mもある大きなもの。
ロングハウスだけみると、長者ケ原遺跡より大きな勢力を持った遺跡だったのか?三内丸山遺跡からもっと巨大なロングハウスが発見されるまでは、国内最大級とされてきたのである。
ざっと観た両者の違いと言えば、長者ケ原遺跡が標高90m前後の高台にある事に対し、不動堂遺跡は標高50mほどのほとんど平地にみえる扇状地に位置すること。
この立地条件が人口の差となって、ロングハウスの大きさに現れているのかも・・・。
ちょっと乱暴な推測だが、能登の真脇遺跡を始めとした富山以西の出土ヒスイは、長者ケ原遺跡より不動堂遺跡から運ばれていたと考えるほうが自然ではないだろうか?
とにもかくにも、恐らくは長者ケ原遺跡と不動堂遺跡は親戚関係のようなもの。
糸魚川市の人には知っておいて欲しい遺跡ではある。
投稿者プロフィール

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ヒスイの故郷、糸魚川市のヒスイ職人です。
縄文、ヒスイ、ヌナカワ姫の探偵ごっこをメインにした情報発信と、五千年前にヒスイが青森まで運ばれた「海のヒスイ・ロード」を検証実験する「日本海縄文カヌープロジェクト」や、市内ガイド、各種イベントの講師やコーディネーターをしています。
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