縄文以来の能生川の鮭掴み取り

糸魚川市能生谷地区在住の友人、イギリス人のマットから鮭掴み取りイベントのお誘い。

糸魚川在住20年近いマットは翻訳が仕事。イスラエル人の奥さんのタルは英語の先生だ。築二百年の古民家で、田舎暮らしを楽しんでおり、和食に造詣が深いし、自然農法の田んぼもやっている。

 

サーフィンポイントで有名な能生川河口には鮭の簗場(ヤナバ)があるのだけど、毎年鮭の掴み取りイベントをやっているのだと初めて知った。

糸魚川市の縄文遺跡から出土する動物遺体には、鮭の骨が多いと聞く。

もちろん鯛の骨やサメの骨も出土するのだけど、鮭の骨が圧倒的に多いのだそうだ。

ヤナで獲った鮭は、選別してメスはイクラを取った後に加工用、オスを掴み取りに回されていた。

老いも若きもスエーダー(胴まである長靴)を借りて掴み取り。子供用サイズも揃っている。浅瀬の鮭を掴むのがコツのようだ。参加料1500円は安い。

狩猟本能が目覚めてしまった女の図(笑)

 

鮭は海で獲ったほうが脂がのって美味いのだけど、恐らく縄文人達も現在の能生のように遡上した鮭を捕まえていたのではないだろうか。

アイヌ民族の民俗例では、燻製保存して主食にする場合は、遡上して産卵を終えた後の鮭の方が脂が抜けていて具合がいいそうだ。

私は縄文人も同様に燻製や乾燥加工などをして、冬の保存食にしていたのではないかと推測している。

もちろん、産卵を終えているので幾ら獲っても乱獲にはならないという良い事づくめの漁法なので、縄文以来のアイヌ文化の知恵と言える。

 

縄文遺跡の70%が東日本に集中しているという事は、ドングリ類や栗、トチなどの賢果類が豊富な落葉広葉樹林帯であった事と、わざわざ海に出なくても簡単に捕獲できて保存食に向いたシャケの存在も大きいと思う。

能生川河口左岸には、縄文遺跡もある・・・鮭の掴み取りで歓声をあげる風景は、この地区の縄文以来の風物詩なのかも知れない。

 

投稿者プロフィール

縄文人見習い
縄文人見習い
ヒスイの故郷、糸魚川市のヒスイ職人です。
縄文、ヒスイ、ヌナカワ姫の探偵ごっこをメインにした情報発信と、五千年前にヒスイが青森まで運ばれた「海のヒスイ・ロード」を検証実験する「日本海縄文カヌープロジェクト」や、市内ガイド、各種イベントの講師やコーディネーターをしています。

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