「じゃらんnet」にぬなかわヒスイ工房の勾玉が掲載・・・同時にヒスイバブルを憂慮
お盆前にリクルート社が運営する観光情報ガイド「じゃらんnet」編集部を名乗るメールがきた。
全国各地の土産物ランキングで、糸魚川ヒスイの勾玉を載せたいので、勾玉の写真を提供して欲しい旨。
「じゃらんnet」掲載中の勾玉写真
ところが担当者の名前が中国系で問合せ先も携帯番号のみ不審メールだ。
なにより大手通販サイトではなく、ぬなかわヒスイ工房のような零細業者に連絡してくること自体が非常に怪しい(笑)
無視していたら、お盆過ぎに電話がきて本物だった。
なんでも注文の取り次ぎなしの紹介だけ、ぬなかわヒスイ工房の名前も出ず、勾玉の写真だけ無償提供というムシのいい条件。
得なことは無いので大手に断られて、やむなく零細業者に頼んできたのだろう。
一般的な普通サイズの勾玉より超小型勾玉のほうが、ぬなかわヒスイ工房のオリジナリティを打ち出せるのだけど、普通がいいのだそうだ(笑)
それでも糸魚川市の宣伝になればと思い写真を提供したが、きちんと24日からぬなかわヒスイ工房の勾玉の写真が配信されていた。
http://www.jalan.net/omiyage/170000/?screenId=OUW1041
現在の所、糸魚川ヒスイは新潟県の土産物ランキング4位。
折しも糸魚川ヒスイが「国石」に認定されたと同時の掲載。
お国自慢したい気持ちはあるが、ヒスイバブルで枯渇に拍車がかかる事を心配している。
杞憂になってくれればいいのだが。
投稿者プロフィール

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ヒスイの故郷、糸魚川市のヒスイ職人です。
縄文、ヒスイ、ヌナカワ姫の探偵ごっこをメインにした情報発信と、五千年前にヒスイが青森まで運ばれた「海のヒスイ・ロード」を検証実験する「日本海縄文カヌープロジェクト」や、市内ガイド、各種イベントの講師やコーディネーターをしています。
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海のヒスイロード
海のヒスイロード検証、カヤックの旅、興味深く読ませてもらいました。逃げるに逃げられず、命がけで漕いでもちっとも進まない怖さ、よく伝わりました。
経験が少し足りなかったようですが、それでもこんな旅は予期せぬ場面がたくさん出てきて、心臓がせりだしそうになりますね。喉がカラカラ、私も何度もありました。
カヤックの旅、上陸できるところが案外少ないんですね。旅していることを説明しもっと漁港を使わせてもらったららくだったかもしれません。
竜飛岬の渦潮は黒潮が津軽海峡に流れ込むことでできるのでしょう。瀬戸内海にも多いですが、黒潮が新島や神津島に当たるときも7、8ノットの流れができ、あちこち渦になります。
日本海の黒潮、津軽海峡の真ん中で藍色に近いのが流れてましたし、利尻から手売島あたりが少し青かっただけで、由良港から飛島、佐渡まで青い海面はなかったような。日本海の黒潮は佐渡のはるか沖を通っているようですね。ただ隠岐の島には直接当たるみたい。
書かれているように丸木舟は重いし、上陸が大変。縄文人はほんとどうやって旅したんでしょ?
まさか獣の毛皮でカヤックを作っていたとか・・・。
カヌーにした訳
「海のヒスイ・ロード」が丸木舟ではなく、カヤックや葦船、筏で航海していた可能性を否定する証拠がないのが実情だと思います。
そこで「日本海縄文カヌープロジェクト」の名前は縄文丸木舟ではなく、広義な非西洋的な小舟の総称であるカヌーと逃げを打ちました(笑)
色々調べてみました
山田さんの旧ブログにあった長い大きなブレードを持つ櫂と、アイヌのイタオマチプ、海を自由に航海してた(勾玉の分布)様子から小舟では無理ではないかと思えてきました。(近くぐらいはやってたかも)。アイヌ人も千島列島、樺太なイタオマチプで走り回っていたようですね。
問題は側板ですが、一枚の長い板でなく、合わせのようなのもあったよう。あの大きな櫂の板ができるなら側板は可能ではないでしょうか。
ただ穴開きの丸木舟が出土してないのが問題ですが。
http://www.frpac.or.jp/manual/files/2002_06.pdf
file:///Users/takeuchishinji/Desktop/ブログ用写真/アイヌ犬のご馳走%20-%20どんぴ帳.webarchive
file:///Users/takeuchishinji/Desktop/ブログ用写真/宝貝と玉文化.webarchive
こんなのもありました。縄文人でもこのぐらいやりそうです。
http://www.frpac.or.jp/manual/files/2008_17.pdf
賛同!
男鹿の抉り舟で津軽海峡の横断ができるのか?もしできるのだったら、縄文人は潮時や遥か沖合の未来の海況を知る知恵と、卓越した身体能力と操船技術があったのでしょう(笑)
アイヌの剥ぎ舟は、萱野茂さんの「アイヌの民具」などの一連の著書で調べたのですが、アイヌ式の帆と刳り舟で果たして平均流速5mもある黒潮を横断して神津島に行けるのか?帆走しないと無理じゃないかな?と調べるほどに疑問が次々と浮かび上がりますね。
4月に上京予定ですので、その機会に湯河原にお邪魔してじっくり相談したいです(笑)
舟の基本性能
ブログを更新し、舟に必要な基本性能だけ書いてみました。
それまでに体調万全にしいてくださいよ。
じゃらんへの写真掲載
おめでとうございます(^^)
じゃらんの方にも飛んでみましたが、存じ上げている方が作られた勾玉の写真が載せられているというのは、とても嬉しいものですね。
じゃらんはよく利用しますので…ますます感慨深くあります。
個人的には、他大手の作る勾玉より、山田さまの勾玉を選んだ、じゃらんの担当者の審美眼に拍手です(笑)
こんなに美しい勾玉の写真、よくぞ探した!
山田さまのお名前・ぬなかわヒスイ工房の名前が無いのは残念ですが。
ああ、でも、じゃらんに名前を載せられて多くの注文が入ってしまったら……山田さまも一点一点心を込めて作ることが出来なくなるかも知れませんね…。
大量生産のために泣く泣く妥協を余儀無くされるかもしれませんね…。
だって、あの写真見たら皆あの勾玉が欲しくなりますよ。
皆糸魚川に行きたくなります。
お返事遅くなり恐縮です。
take様
しばらく京都に行っており、返信が遅くなり恐縮です。
流石のご明察!
単材刳舟の傑作は現在のように剥ぎ舟になる以前のサバニだと思いますが、剥ぎ舟になった現在の船型でも台湾ボウズクラスの荒海では転覆しやすいのだそうですね。
有名な明治の「久松五勇士」は、宮古島~石垣島を黒潮に逆行する海路を平均時速10キロで漕ぎ渡ったそうですが、相当な身体能力、そして国家存亡の危機に対する命がけの決死行だったのでしょう。「海のヒスイ・ロード」で使われた丸木舟がモノハルだったかマルチハルだったかを推測する証拠はまったくありませんが、ご指摘の通り波高3mを乗り越える海を乗り切るにはアウトリガーカヌーかカタマラン仕様の丸木舟を大型帆走船か、帆走式の葦船ではなかったのか?と航海を終えて実感しました。してみるとセールの素材と形式は?疑問は尽きませんねえ・・・。
ムハ~!
tga様
恐らく大手さん達は、じゃらん編集部の依頼を断ったのに違いありせん(笑)
最近はカメラのレンズを新調したので少しは綺麗な写真が撮れるようになりましたが、カメラに凝り出すと勉強する事が山ほどあって呆然としてしまいます。
折りをみて糸魚川市に遊びに来てくださいね!友人が1泊1000円~2500円というゲストハウスを始めて盛況なようです。