ソ連軍に乙女を差しだした日本軍・・・小柳ちひろ著「女たちのシベリア抑留」
シベリア抑留者には、医療従事者や軍属などの若い女性もいた。なかには夫が憲兵であっただけ、或いは軍で事務や通訳をしていた女性がスパイ活動をしていた戦犯として抑留されていた。

本書はNHK社会部デイレクターが取材に5年をかけて執筆した渾身の昭和史。戦争の犠牲者は戦地の将兵や空襲犠牲者だけでないし、8月15日以降も「戦争が続いていた」ことを丁寧に記録している。
居留民を見捨てて逃げた関東軍司令部は、ソ連軍のまっただなかに取り残された各病院に対し、「ソ連軍が要求するものは抵抗せずに与えろ。第一に酒、第二に女」と信じがたい示達を出した。
ある陸軍病院長は「軍人は命より大事な軍刀を渡したのだから、女の貞操くらいなんだ!」とソ連兵に差し出す看護師の人選を命じたが、気骨ある看護婦長が「それなら最初に奥さんを差しだしてください」と言い返したら沈黙したそうだ。
病院によっては懸命に看護師を守ったし、兵隊も命がけで守ってくれたが、ソ連兵に凌辱されて精神に異常をきたしたり、,連れ去られたまま還ってこない女性もいた。
内蒙古の居留民40万人を守り通した根本博中将のような見識と覚悟もなく、広大な満州で権勢をふるった関東軍のエリート軍人たちは、「大日本帝国」という後ろ盾がなくなった途端にソ連軍に尻尾をふり、保身のためなら乙女たちを人身御供に差し出す感覚の持ち主だった。
「無敵皇軍」「アジア解放の聖戦」の最後は惨めだったが、関東軍首脳のこの行為こそ国辱であり非国民ではなかったか。ページをめくるたびにソ連軍の蛮行は無論のこと、日本の指導者の無為無策さと無責任さに怒りがこみあげてくる。
が、ソ連軍は野蛮であっても、ロシアの民衆は朴訥として親切だったと語る抑留者は多く、個人的に交流した人もいた。
ソ連軍の傍若無人は最前線で戦っていた荒くれ部隊の行為であって、それをもってロシア人を語ってはいけないということだろう。それは「日本軍と個々の日本人」も同じで、わたしは韓国を旅行中に「戦前は近所に日本人が多く住んでいて可愛がってもらった」と、日本語を話すお年寄りから声をかけられ、親切をうけた経験がなんどかある。
何度でも書くが、戦争とは戦場での戦闘のみにあらず。
犠牲者となるのは兵士のみにあらず。
国家と国民は同じにあらず。
8月15日は終戦にあらず。
投稿者プロフィール

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ヒスイの故郷、糸魚川市のヒスイ職人です。
縄文、ヒスイ、ヌナカワ姫の探偵ごっこをメインにした情報発信と、五千年前にヒスイが青森まで運ばれた「海のヒスイ・ロード」を検証実験する「日本海縄文カヌープロジェクト」や、市内ガイド、各種イベントの講師やコーディネーターをしています。
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