とりあえず無事の生存確認のご報告・・・「令和6年能登半島地震」
新年早々の「令和6年能登半島地震」は、糸魚川もいまだかってない揺れに見舞われたが、倒壊家屋もなく我が家はとりあえず無事。多くの人から安否確認をいただき、復興ボランティアや支援物資の申し出まであったが、糸魚川は大丈夫だから能登方面の心配をしてあげてくださいと返信。

最初の地震でダイニングにいたお袋は、即座に石油ストーブを消したのは見事だったが、耐震ストッパー付きだから放っておけば勝手に消えるので、下手に近づいて薬缶のお湯をかぶらないように注意した。
ガタガタ揺れるなか、ネコはどこにいった!とお袋が椅子から立って探そうとしたので、揺れがおさまるまで座っているように肩をおさえた。わたしでさえ歩けない揺れの中で、後期高齢者が動くのは危険なのだ。
後から報道で知ったが、糸魚川で救急搬送されたのは、避難途中の高齢者が転倒したとのこと。揺れているときは、安全な場所で身を低くし、揺れがおさまるのを待つ!
食器棚や冷蔵庫からものが飛び出すような、糸魚川ではかってない規模の地震だから、わたしは膝立ちになりお袋の頭にクッションで守ることに専念。
最初の揺れがおさまると、勝手口に置いてあるヘルメットをとってきてお袋に被らせ、何かが落ちてくる恐れのない座敷に座らせ、スマホの補充充電と避難時の出し品をそろえる。

家のことがひと段落したのでDIYした工房の様子を恐る恐る確認したら、棚が動いたりしていたが建具の建付けもよく、塗り壁にヒビもなく安心。

ギャラリーも軽微。
しばらくは頭の保護に屋内でも毛糸の帽子をかぶること、避難する時はネコのことは構わず、玄関に揃えたザックと上着を身に着けて向かいの小学校で落ち合うことを取り決め。


玄関に防寒着・ホッカイロ・洗面具・水筒・ライト・行動食など、三日間は自力で生きられる物資を詰めたザックとヘルメット、避難の時に履く長靴と上着を揃えて一夜を過ごした。
わたしは座敷でマットなしで寝袋に入ってラジオを聴きながらすぐに動けるよう、ネコ式に浅い睡眠を維持。震度5クラスがなんどかあり、夜11時くらいまでは余震が続いた。
夜中に外に出てみたら、いつもと変わらぬ星がキラキラ瞬く静かな夜だった。

朝になり被害状況を確認。本物の縄文土器が割れたが、元々がバラバラの状態を接合した土器だったので補修できそうだ。自作の土器は棚から落ちたが、欠けもビビ割れもなく無事。
しばらくは臨戦体制をとりながら、書籍が散乱した自室と工房の後片付けになる。いまもちょっと揺れた。揺れてなくても体自体がフワフワ揺れているように感じるが、みんなそうらしい。
#能登沖地震 #糸魚川 #震災サバイバル #令和6年能登半島地震
投稿者プロフィール

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ヒスイの故郷、糸魚川市のヒスイ職人です。
縄文、ヒスイ、ヌナカワ姫の探偵ごっこをメインにした情報発信と、五千年前にヒスイが青森まで運ばれた「海のヒスイ・ロード」を検証実験する「日本海縄文カヌープロジェクト」や、市内ガイド、各種イベントの講師やコーディネーターをしています。
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