被災者に厳しい行政支援と地震保険の実態・・・能登半島地震沖ボランティア・液状化の脅威
能登の被災地でよく耳にするのは、「火事は全焼、地震は全壊」という嘆きだ。半焼や半壊以下だと助成内容や下りる保険査定額が全然ちがうのだ。
家屋の損壊割合が最も低い「一部損壊(10%未満)半壊に至らない」と判定された被災者から、家にあがって見て欲しいと訴えられた。

とりあえずは7人家族で暮らせてはいても、液状化現象による不動沈下が目立ち、サッシは閉まらず床も柱も傾いていて、土台も縦に裂けていた。

土台がむき出しになっているのもヘンで、最初は化粧板かと思ったが土台そのものだった。この家が建てられた当時は確認申請なしが普通だったそうで、基礎も布基礎で四隅にコンクリート杭を打ち込んであったそうだが、たとえベタ基礎であっても広域液状化現象では耐えられなかったかも。

すぐ近くのマンホールは40㎝くらい飛び出ていた。
地盤改良をして建て直しが必要なレベルであっても、地震保険の査定員は「軽微な損傷」と査定したらしい。不服申し立てができるから、安易に泣き寝入りしないようにとしかアドバイスできず、無力感にさいなまれた。

被災地のいたるところで見られるのは地震当日に「噴水みたいに」と言われた液状化で噴出した砂。目の前の海岸の砂と同じ砂だ。
行政の損壊割合と保険査定は液状化被害は算定外というのも意外だったが、地震保険に加入しているから安心でない現実。

あちこちで傾く電柱の数々・・・昭和39年の「新潟地震」で問題となった液状化被害の教訓は活かされていない。
また家が全壊してホテルで二次避難している被災者は、3月中旬で退去しなければならない規則だそうだ。しかし仮設住宅の完成は4月中旬予定だから、その間はどこで暮らせというのか?仮設住宅に入居できても二年の期限付きとあっては、行政機関は自力で生活基盤が再建できない被災者を置き去りにしているとしか思えない。
「見捨てられた」という被災者の声もよく聞く。だから被災者は都会に移住する。そして過疎化は進む悪循環。
「復興五輪」と銘打った東京オリンピックは終わったが、東日本大震災の災害弱者の救済は打ち切られ、復興の既成事実化がされた現実。いっそ江戸時代の長屋暮らしの方が気楽に思えてくる。
投稿者プロフィール

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ヒスイの故郷、糸魚川市のヒスイ職人です。
縄文、ヒスイ、ヌナカワ姫の探偵ごっこをメインにした情報発信と、五千年前にヒスイが青森まで運ばれた「海のヒスイ・ロード」を検証実験する「日本海縄文カヌープロジェクト」や、市内ガイド、各種イベントの講師やコーディネーターをしています。
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