白いご飯がご馳走だった時代・・・輪島漆器義援金プロジェクト
ある日突然に昔の冠婚葬祭では、白いご飯が特別なご馳走だったと気付いた。

通常の四つ脚膳(正式名称は宗和膳)より二回りほど小さく、脚の下部がつながって窓あきになったタイプの用途がわからなかったのだが、正体は飯ビツ専用の膳ではないか?
戦前の日本では白米が食えない、あるいは食ったことのない庶民は多く、麦めしや大根めしに代表される雑穀・豆・野菜で増量したカテ飯が常食だった。
臨終の枕頭で米をいれた竹筒をシャカシャカとふって「白マンマだぞう!」と聴かせ、安らかに逝かせる風習もあった。
そんな庶民にとって冠婚葬祭で椀飯振舞い(おうばんぶるまい)される白マンマ・銀シャリは特別なご馳走であったに違いなく、だからこそ飯ビツは畳のうえに直置きせず、わざわざ専用の膳に鎮座させていたのではないか?
地元の人でさえ用途がわからなくなっていた輪島漆器であっても、7ヶ月も付き合っていると断片的な情報と情報がつながって気付きになる。
ご飯を粗末にしちゃバチがあたりますナ。
投稿者プロフィール

-
ヒスイの故郷、糸魚川市のヒスイ職人です。
縄文、ヒスイ、ヌナカワ姫の探偵ごっこをメインにした情報発信と、五千年前にヒスイが青森まで運ばれた「海のヒスイ・ロード」を検証実験する「日本海縄文カヌープロジェクト」や、市内ガイド、各種イベントの講師やコーディネーターをしています。
最新の投稿
災害(輪島漆器義援金プロジェクト・ボランティア・サバイバル)2025年10月20日「自分にできること」・・・能登半島地震ボランティア
糸魚川自慢2025年10月19日大人になった気分デス・・・充電式ブロアーと「あさひ楼」のラーメン
ぬなかわヒスイ工房・ヒスイ2025年10月17日現代の勾玉のつくられ方・・・時代おくれのヒスイ職人の独り言
糸魚川自慢2025年10月13日縄文キッズ養成講座「丸木舟体験会」・・・糸魚川の浜言葉でオモテナシ