小字は地域の歴史を物語る文化デス・・・「姫御前遺跡」

姫の御前(おんまえ)に位置すると読み取れる小字なので、付近で最大の玉つくり遺跡にして、糸魚川市では珍しく完形のヒスイ勾玉が出土している「笛吹田遺跡」にヌナカワ姫一族が住んでいたかも?と、「ヌナカワ姫笛吹田遺跡居住説」をぶち上げて、ひとりほくそ笑んでいるワタシ。
母が畑仕事をしていて土中から出てきたヒスイ勾玉。その翌年の同じ日にわたしが生まれたので歴史好きの子供に育ち、Uターン帰郷してからヒスイ職人になったのですな。「ぬなかわヒスイ工房」は1,700年の時を経て、同じ場所にヌナカワ族のヒスイ加工遺跡を再興した訳だ。
出土した勾玉は角のたった「半玦勾玉」に分類されるが、東部北陸型の系譜にしては綺麗なヒスイをつかい、仕事も丁寧だし、形も薄くてスマートなのが特徴。筋砥石も出土しております。
糸魚川市では他に1点しか出土していないガラス製のビーズも出土していて、完掘されてないにしても「方形周溝墓」の痕跡が認められているので、玉つくり遺跡というだけでなく身分の高い人が住んでいたことが伺える。
拙宅の真南2キロの京ヶ峰の山中に、数あるヌナカワ姫伝説の中でも群を抜いて生々しい伝説のある「稚児ケ池」があり、伝説に曰くヌナカワ姫一族が祭祀をおこなった場所であり、出雲勢力に追い詰められてお隠れになった場所なので、「笛吹田遺跡」はヌナカワ姫居住の比定地として満更ではないのよ。
「糸魚川市史」の中で青木重孝先生は姫川左岸の「大角地遺跡」をヌナカワ姫居住地と推定しているが、「笛吹田遺跡」付近に比べてヌナカワ姫伝説が少ないことと、大きな神社がないのが弱いと思うナ。
「姫御前遺跡」の東に「南押上遺跡」もあるのだが、この二つの遺跡はグーグルアースやハザードマップで確認すると低湿地の氾濫原に位置していて、「笛吹田遺跡」は氾濫の恐れのない微高地に位置する点も、わたしはヌナカワ姫一族が住むにふさわしいと睨んでいる点だ。
浅草で地元の人と話す時などは、柴崎町、猿若町と昔の地名だと街の風景や範囲がわかるので便利なのだが、現在の住所のように数字で地割りした浅草〇丁目だとこうはいかない。
古くからの地名は物語を秘めた文化なのだから、大事にしたいもんですナ。
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投稿者プロフィール

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ヒスイの故郷、糸魚川市のヒスイ職人です。
縄文、ヒスイ、ヌナカワ姫の探偵ごっこをメインにした情報発信と、五千年前にヒスイが青森まで運ばれた「海のヒスイ・ロード」を検証実験する「日本海縄文カヌープロジェクト」や、市内ガイド、各種イベントの講師やコーディネーターをしています。
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