縄文探偵、長者ヶ原遺跡の縄文の小道を探検踏査!・・・「海のヒスイロード」のアプローチ
長者ヶ原遺跡の北のはずれに、「←長者ヶ原遺跡 天津神社→」と木の標柱と、「指定道路 長者ヶ原遺跡」とある石の標柱のある小道に気付いたのは数年前。

小道の降口から長者ヶ原遺跡を望む。遺跡側からなら11号住居の後ろだ。

最初に気付いたのが木の標識

その向かいに「指定道路 長者ヶ原遺跡」と立派な石柱がたっているので、現在は忘れ去られていても、かっては史跡あつかいされていたらしい。
10年以上も前に当時の学芸員さんから、縄文人が海岸でひろったヒスイを長者ヶ原遺跡に持ちこみ加工し、当時は広い沼地だった天津神社の北から、ヒスイ装身具を丸木舟に載せ海に出て各地に運んでいたと教えてもらっていたが、この小道がそうであるらしい。
現在の若い学芸員さんに聞いてみたら、歩いたことはないとのことだった。
個人的には「海のヒスイロード」のアプローチという位置づけなので踏査したいとは思っていたが、今も歩けるのか不明だし、グーグルアースでも見つけられない森の小道で、どこに出るかも不明な標高差約80mの直線距離1・5キロのルートなので、ずっと歩くチャンスをうかがっていた。
本日晴天なれど湿度の低し・・・勾玉探偵は絶好の条件を見逃さず、縄文探検に早変わりして決行。
「自然界の報道写真家」宮崎学さんに倣い、ホウ!ホウ!とクマ除けの声をあげながら小道を歩いてみた。

歩くこと50mで北陸自動車道の高架橋に到達!クマやイノシシが出ないかおっかなびっくりしていたのに拍子抜けw。橋の前後の山道は建設時に開削したらしく、幅4m内外の幅になっていた。

見どころポイント発見!

森というより見通しがきくので林ですな。

ステキ!縄文の小道~!💛と「赤毛のアン」になってしまう縄文探偵のボク( ´艸`)

ほぼ中間地点に倒れた看板を発見。

倒れた看板の左の奥に平坦地があり、旗竿と奉納されて植樹したらしい榊があったので、江戸期は天津神社の神領であったのではなかろうか?
倒木で塞がれた箇所が何か所かあるものの、明るい林の中を歩くトレッキングコースといった感じで、移動距離900m、標高差77m、歩行時間8分で、あっけなく火葬場の看板のある県道の「十二曲り」に出た。

つづら折りになった十二曲りに出たところ。

十二曲りから天津神社まで1キロ弱だから、大きく迂回する車移動と同じくらいの時間しかかからず、特に難路でもないのに大きくショートカットできて驚いた。

天津神社の境内を通って鳥居を出た先にある太鼓橋。ここは標高11mの微高地になっていて、奥にトラックが走っている県道は昭和30年代までは大きな池のある低湿地で、長者ヶ原遺跡を源流にする城之川を経て日本海に出られたと聞く。つまりは「海のヒスイロード」の出航地???
*計測にあたっては伊藤薫さんから教えてもらったスマホアプリ「Strasva」を使用。
ゆるい坂道で険しくもないので、来た道を歩いて長者ヶ原遺跡までもどってみたが、坐骨神経痛の病み上がりでも無理なく往復できる程度。
ヒスイは希少鉱物としての価値ばかりが注目されている現在の糸魚川市としては、縄文以来のヒスイ文化にも注目を集めてもらえる文化遺産として、この山道を活用しないのはもったいないネ。
坐骨神経痛持ちでも往復できる小道であっても、縄文→古代のヌナカワ姫→現在をタイムトリップできるルートなのだ。
ジオサイトに追加してはどいうか、ジオパーク協議会に相談してみようと思う。
投稿者プロフィール

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ヒスイの故郷、糸魚川市のヒスイ職人です。
縄文、ヒスイ、ヌナカワ姫の探偵ごっこをメインにした情報発信と、五千年前にヒスイが青森まで運ばれた「海のヒスイ・ロード」を検証実験する「日本海縄文カヌープロジェクト」や、市内ガイド、各種イベントの講師やコーディネーターをしています。
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