クマ対策を考えるならオススメしたい参考書・・・・吉村昭著「羆嵐」

明治後半から大正にかけて北海道の開拓民の集落でヒグマが人を殺傷する事件が多発したのはなぜか?
その一方でアイヌ民族の集落でのヒグマ事故をあまり聞かないのはなぜか?
本書は大正4年の三毛別羆事件(さんけべつひぐまじけん)を題材にしたノンフィクション小説だが、史実を徹底検証する吉村昭の手にかかると、その場の当事者であるかのようにドキドキして一気に読了した。
 
ある日、民家に乱入したヒグマにより二人が殺され、女の遺体が持ち去られた。
五名の鉄砲自慢をふくむ捜索隊がかけつけるが、雪山で遺体を食うヒグマに遭遇した際に発砲しても、弾は大きく外れたり不発だったりで突進され、散を乱して逃げかえってしまう。
 
当時の事件を調べると、畑でヒグマと遭遇した開拓民が鉄砲を撃っても、突進してくるヒグマに慌てて照準が定まらなかったのか、あるいは不発で返り討ちになった事例がある。
わたしがクマ除けスプレイを過信してはいけないとする理由のひとつだ。
 
雪山に残された無残な遺体を回収した通夜の晩、エサを奪われ怒り狂ったヒグマが再び襲い四名が犠牲となる。
事態を重く見た警察が四十丁もの鉄砲をそろえた二百名をこえる救援隊を派遣したが、最初は数を頼んで意気軒昂だった救援隊も、三毛別で惨状を観た途端に烏合の衆と化した。
 
ヒグマを退治したのは、粗暴で酒癖の悪いことから銀おやじと呼ばれ忌み嫌われ、旧式の単発銃をつかう孤高のヒグマ専門猟師。
ヒグマの習性を熟知して地形と風を読み、初弾で心臓、二発目で眉間を打ち抜いている。
おっとり刀で駆けつけた救援隊が、ほんとに死んだのか?と聞かれ、毛がしおれて掌がひらいているとだけ答え、一見してクールに見える銀おやじの顔は青白かった。
 
ヒグマを殺すと風が吹くと伝えられている。
クマ風、ヒグマ嵐と呼ばれる伝承で、この時も猛吹雪となり、伝説のように語り伝えられていたそうだ。
退治されたヒグマは推定7~8歳、体調2.7m、体重400キロちかくあった。
 
本書には三毛別の区長が推理するヒグマの習性と、銀おやじが読むヒグマの心理描写が自然な流れで書かれていて、獣害対策の参考書になっているところが流石の吉村昭作品。
数多くのノンフィクションを小説にした吉村昭は、史実を独自の史観で解釈する司馬遼太郎とは異質で、ハードボイル小説のように説明的な会話はなしで、巧な状況描写で登場人物の心理状態を読み手にゆだねてくれる作家。
 
この時期のヒグマ事件の犠牲者は本州から移民した開拓民ばかりで、アイヌ集落での報告例は未だ見ていないのはなぜか?と以前から考えつづけている。
 
開拓民の多くはヒグマもツキノワグマと同じで、驚かさなければ襲われる心配はないと考えていたようだ。
狩猟採集民だったアイヌ民族はヒグマをキムンカムイ(やまの神)と畏れ、習性を熟知していたこと、エゾジカを含む野生動物を適度に間引きをすることで、野生動物と住み分ける生活文化があったからではないか?というのが、今のところの推理。
獣害対策を考える人、アウトドア遊びが好きな人は読んでおいて損はない本だ。
 
 
 

投稿者プロフィール

縄文人見習い
縄文人見習い
ヒスイの故郷、糸魚川市のヒスイ職人です。
縄文、ヒスイ、ヌナカワ姫の探偵ごっこをメインにした情報発信と、五千年前にヒスイが青森まで運ばれた「海のヒスイ・ロード」を検証実験する「日本海縄文カヌープロジェクト」や、市内ガイド、各種イベントの講師やコーディネーターをしています。

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