アジア開放の聖戦と賛美する人に知ってほしい皇軍の実態・・・戦争記録映画「イムパール作戦」
安部政権からはじまった太平洋戦争をアジア開放の聖戦とする歴史修正の潮流が、トンデモ歴史を主張するポピュリズム政党の躍進にまで拡大してしまったが、彼らが賛美する「皇軍」の実際を、日英双方の記録映像を編集した記録映画「イムパール作戦」で確認してはどうだろうか。
【戦争記録映画】イムパール作戦(タイムコード入りサンプル)
インパール戦はインドから中国へと物資をおくる連合軍の「援蔣ルート」を日本軍が奪取し、逆にインドに攻め込むことが目的だった。
本作で両軍の勝敗をわけたのは圧倒的な物量差は無論にしても、連合軍は立証主義的な戦略に基づいた戦術を用い、将兵の人道的配慮を優先していたのに対し、日本軍には皆無であったことがよくわかる。
連合軍は会戦前から長期的な視野にたち「援蔣ルート」を盤石とするために、インドの石油産地のレドから未踏のジャングルに雲南省まで石油パイプラインとトラックや戦車が進軍できる「レド公路」を建設して、兵站を盤石にすることからはじめている。
インパールの平原に飛行場までも建設して、武器弾薬・水食料・兵員を空輸し、山岳地帯の前線には物資をパラシュート降下で補給していたし、野戦病院で手に負えない重傷者は輸送機でインドまで搬送できる万全の体制を敷いていたのだ。
対する日本軍の戦略は無いに等しく、将兵の「旺盛な敢闘精神」に頼った場当たり的な戦術に終始していた。
各兵士に40キロをこえる3週間分の弾薬・食料を担がせ、密林と標高3,000mのアラカン山脈を突破させたために、戦う前から疲弊して食料不足は深刻になっていた。
足りなくなった食料は敵陣地を占領して奪い取るしかないのだが、弾薬も底をついてくるとそうもいかず、最後は山岳民族の種モミまで奪いとる将兵もいたので、現地人からすると皇軍は強盗のような存在で、次第に連合軍になびいていった。
1発の砲弾ですら虎の子のように老兵が担いで運んでいたので、日本軍が大砲を1発撃つと100倍に撃ち返されるといった、軍事用語でいうところの鉄量は比較にならなかった。
名ばかりの野戦病院には医薬品も食料もなく木陰に寝かすだけであり、敗走時には自力歩行できない兵士は自殺を強要されるか友軍から銃殺され、中には友軍の食料を強奪したり殺害して人肉を食べる、あるいは友軍に売る将兵まで出るに至るほど軍紀は乱れていた。
「あと何人殺せばインパールは占領できる?」と指揮を執る牟田口廉也司令官は参謀に質問していたらしいが、「何人殺せば」とは連合軍将兵ではなく日本軍将兵を差している。
つまりは「皇軍」は将兵を使い捨ての消耗品扱いしていたのである。
なぜ日本軍は将兵に3週間分の食料しか携行させなかったのか?
映画には描かれていないので補足すると、作戦開始から逆算して3週間後の天長節(天皇の誕生日)にインパールに華々しく凱旋すると新聞社に豪語していた、権威主義的な牟田口廉也司令官の名誉欲のためでしかなかったのだ。
また牟田口司令が陸軍航空隊がなけなしの航空機で空からの支援を申し出を断った理由は、手柄を独り占めしたかったからとも言われている。
インパール戦での「皇軍」の唯一の勝利は、新潟の高田58連隊がコヒマを一時的に占領したのみだったが、ジャングルに隠れて戦車と兵員をのせたトラックが陸続とやってくるレド公路を目撃した将兵は、日本では見たことのない立派な道路であることに驚き、「旺盛な敢闘精神」では補えない彼我の戦力差に愕然としたいたという。
本作はインパール戦の発端からビルマ戦、終戦までが描かれているので、正確は「インパール・ビルマ戦」といった内容で、映画に出てくる戦場に祖父もいた。
インド領からビルマ領に戦場を移しての決戦、イラワジ会戦ともなると日本軍の勝利は絶望的となり、ビルマ方面軍司令部は安全圏のバンコクに飛行機で逃げておきながら、現地徴兵した在留邦人部隊に「死守せよ」とだけの曖昧な命令を出して玉砕させている。
これが皇軍の実態なのだ。
「安全地帯にいる人のいうことは聞くな、が大東亜戦争の教訓」・・・なんども書くが、フィリピン戦で特攻をはじめた第一航空艦隊の副官だった門司親徳氏が、戦後の最晩年に語った遺言である。
*イギリス側の映像は若干の脚色部分もあるが、発端から終戦までが客観的に描かれています
投稿者プロフィール

-
ヒスイの故郷、糸魚川市のヒスイ職人です。
縄文、ヒスイ、ヌナカワ姫の探偵ごっこをメインにした情報発信と、五千年前にヒスイが青森まで運ばれた「海のヒスイ・ロード」を検証実験する「日本海縄文カヌープロジェクト」や、市内ガイド、各種イベントの講師やコーディネーターをしています。
最新の投稿
災害(輪島漆器義援金プロジェクト・ボランティア・サバイバル)2025年10月20日「自分にできること」・・・能登半島地震ボランティア
糸魚川自慢2025年10月19日大人になった気分デス・・・充電式ブロアーと「あさひ楼」のラーメン
ぬなかわヒスイ工房・ヒスイ2025年10月17日現代の勾玉のつくられ方・・・時代おくれのヒスイ職人の独り言
糸魚川自慢2025年10月13日縄文キッズ養成講座「丸木舟体験会」・・・糸魚川の浜言葉でオモテナシ