草や虫を敵としない・・・不耕起の田んぼ六年目の田植え
Uターン帰郷して、自宅の田んぼの一部を不耕起にしてから六年目の田植え。
不耕起とは読んで字の如く、耕さない農法の事で、田んぼの場合はあらくり・代掻きはせず、畝もない平らな田んぼの周囲に幅30㎝ほどの水路があるだけである。
私の不耕起の田んぼは、奈良県の自然農法家の川口由一さんの方式を踏襲したが、そのままでは我が家の田んぼでは通用しないという事を一年目に痛感した。
寺町区の田んぼは、弥生時代の海川と姫川の氾濫原であったためか、青黒いシルト分の多い重粘土といってよく、水を入れて耕さないと土が固過ぎて稲の根が張ってくれないのだ。
活着せずに枯れ死にしたりする苗の補植に追われたり、収穫の後でも稲を引っぱると簡単に引っこ抜ける位に貧相な稲しか育たなかった。
何で野菜と違って稲は水田で栽培するのか?
弥生時代から始まった水稲農業の歴史を、逆なぞりに謎解きしていった・・・とも言える。
除草剤はおろか、耕さないのだから大変なのはわかっていたけど、時が経てばと想いながらひたすら忍耐。
乾燥方法だって機械乾燥ではなく、寺町区ではみる事の無くなった昔ながらのはさ掛けである。
住宅街に取り残された我が家の不耕起の田んぼ。これが水田だと気が付く人は少ない。
苦労して作った米でも、プロの農家から観ると売り物にならない等級外の米であるらしい。
未成熟米や割れが多くて、米粒も小さくて大きさもバラバラ。
ところが見てくれは悪くても美味いのだ。
友人に分けたら、普段は食の細い子供が私の米の時はお代わりをするのだそう。
固定観念抜きの子供が理屈抜きに美味いと感じるなら、佳い米なんだろう。
今年は苗を植える前に、窪みを付けた部分に柔らかい泥を入れて根張りをよくする作戦。植木屋が樹木を移植する時の水鉢を真似てみた。
あまりにも手間暇がかかるので、腰を伸ばした時に観る花の彩りが心の支え。
疲れた時には、あぜ道に自生している薄荷(ペパールミント)の葉っぱを数枚、ポットのお湯にぶち込んだだけのミントティーで喉を潤す。これは20代の頃、ネパールをトレッキングした時に地元の人に教わった飲み物。
私の田植えは、普通の田植えと違って野菜の苗を移植するような作業で、慣行農法の10倍くらいは手間暇がかかっているのではないだろうか。
いつかきっとフカフカな柔らかい土になってくれいと、農閑期は大工さんから貰った鉋屑やモミガラ、焚火の後の消し炭や灰などを入れ続けて、少しずつ有機質分を増やしていった。
雑草は根っこを残して、地際から除草するが、必要以上には除草しない。
彼らの根っこが田んぼを肥やして柔らかくしてくれるし、色んな虫が住む事のできる環境を残しておくのだ・・・雑草と虫はお友達。
辛抱の甲斐あって三年目くらいからようやく表土が変わってきた。
今年は表土から5センチほどまでは白くて細かい植物の根が密生していて、かってないほどの柔らかい土。
田植えの方法も進化して、今年は補植しなくても良さそうだ。
ガンバレ俺!
投稿者プロフィール

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ヒスイの故郷、糸魚川市のヒスイ職人です。
縄文、ヒスイ、ヌナカワ姫の探偵ごっこをメインにした情報発信と、五千年前にヒスイが青森まで運ばれた「海のヒスイ・ロード」を検証実験する「日本海縄文カヌープロジェクト」や、市内ガイド、各種イベントの講師やコーディネーターをしています。
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