同じ失敗を繰り返す日本の組織・・・「大本営参謀の情報戦記」
戦前の日本は情報収集と分析を軽視し、必敗の太平洋戦争を自ら開戦してしまった。
幸か不幸か、明治期に大国相手の日清・日露の戦争に辛勝した結果、皇国史観にもとづく精神論ばかりが重視され、無敗皇軍神話が喧伝されたのが昭和のはじめ。
日露の陸軍もそうだったが、昭和の帝国陸海軍はいちど作戦が成功すると、同じ作戦を何度も繰り返すことを米軍の情報将校らが分析して、裏をかかれてはの失敗を繰り返していたので、米軍も日本軍の硬直性に飽きれたというのは有名な話し。

「大本営参謀の情報戦記」の著者の堀中佐は、ミッドウエイ開戦の後に情報参謀に任命されたが、情報課の仕事は欧米の雑誌を翻訳して報告書を作成するだけで、分析されることもなく、作戦に反映されることもない閑職であることに愕然とする。
そこで日米両軍の作戦履歴と暗号電文の解読を独自に取組んだ結果、米軍の作戦を次々と的中させるようになり、「マッカーサーの参謀」と称賛されるようになる。
そして南方諸島で採用されては玉砕をくりかえしていた「水際作戦」から、「洞穴陣地で持久戦」へと転換させ、山下泰文大将をはじめとした南方軍指揮官から信頼されるようになった。
ポツダム宣言受諾後に、対独戦に勝利したソ連が兵力を満州に移して侵攻する情報もあったそうだが、堀中佐が「奥の院」と批判する大本営作戦課が情報を握りつぶしたことが、怒りをもって書かれている。
同じ大本営陸軍参謀本部といっても、実質は作戦課が唯我独尊で軍隊を動かすエリートで、情報課は軽んじられていたのだ。
都合の悪い情報は隠蔽する日本の組織のありようは今も変わらないが、もしソ連の侵攻情報が日本軍を統帥する「大元帥」たる天皇まであげていたら、30万人とも50万人とも推測されている在留邦人がソ連軍の暴力に曝されることもなかったかも知れなし、その後の中国残留孤児問題もおこらなかったかも知れない。
天皇と鈴木内閣は、極秘裏に和平交渉の仲介をソ連に依頼するプランを進めていたくらいだから、ソ連軍の満州侵攻は晴天の霹靂だった。
天皇は絶対の現人神であり、余の命令は天皇の命令であると将兵を死地に追いやっていた作戦課のエリート軍人たちこそが、最大の不忠者・国賊だったのだ。これが当時からいわれていた「昭和の陸軍の下剋上」
そして満州事変からの15年戦争を主導し、国家をミスリードした大本営作戦課の軍人たちは・・・戦後に自民党議員、自衛隊の幕僚、大企業の役員になったりと、それぞれ栄達している。
投稿者プロフィール

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ヒスイの故郷、糸魚川市のヒスイ職人です。
縄文、ヒスイ、ヌナカワ姫の探偵ごっこをメインにした情報発信と、五千年前にヒスイが青森まで運ばれた「海のヒスイ・ロード」を検証実験する「日本海縄文カヌープロジェクト」や、市内ガイド、各種イベントの講師やコーディネーターをしています。
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