仏壇の救出作戦・・・能登半島地震被災地ボランティア・能登島編(その2)
漆器を掘りだしたKさんのいちばんの悩みは、いつ倒壊してもおかしくないほど傾いた自宅から仏壇を搬出し、新居が完成するまで車庫に保管することだった。NPO法人のボランティア団体に頼んだら、一目みて危険すぎるから屋内にはいることはできないと断られたらしい。
公的ボランティアが逃げる難問に挑むのが、私が属しているボランティアネットワーク「お手伝いJAPAN」の真骨頂だ。
仏壇の推定重量は200キロ内外だから、男手は最低4人必要だ。しかし檀家寺のご住職に聞いたら、仏壇は横にしても斜めにしても壊れるので水平移動しなさいとのこと。
となると仏壇と畳まで高さ5寸(15センチ)の段差があり、ここが一番の難所だ。

瓦礫の中から4寸角を探しだしてレールを設置し、毛布の上の仏壇を畳を滑らせる水平移動を計画して、瓦礫を撤去して車庫までのルートつくりと搬出のイメージトレーニングをする。

日曜日に遠隔地に住むご長男に来てもらい、ご住職のお参りの後に作戦決行。
玄関までは順調だったが、外に出てからがコンクリートなので滑らせることができず、持ち上げようとすると毛布が破れて水平移動が難しくなった。なんかアイデアはないかと周囲を見渡したら、瓦礫の中に田植えの時に苗や刈り取った稲を運ぶ「田舟」を発見して、即座に使えると判断。

慎重に「田舟」に乗せて引っ張ってみたら、簡単に動くではないか。

広いところまで「田舟」で引っ張り、最後は軽トラに乗せて車庫まで運びミッション成功。

Kさんの家は離農したから、「田舟」の最後の仕事だろう。
能登半島地震で多くの民具や文化財が、ゴミ扱いされて失われていくのは惜しいことだ。

仏壇を搬出した後の座敷はガランとして、家の傾きがいっそう目立った。まだ屋内から運びだしたい家財道具はあるのだが、危険だからもう入らないでくださいとお願い。
われわれボランティアの報酬は依頼者の笑顔。いちどやったらやめられない。
投稿者プロフィール

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ヒスイの故郷、糸魚川市のヒスイ職人です。
縄文、ヒスイ、ヌナカワ姫の探偵ごっこをメインにした情報発信と、五千年前にヒスイが青森まで運ばれた「海のヒスイ・ロード」を検証実験する「日本海縄文カヌープロジェクト」や、市内ガイド、各種イベントの講師やコーディネーターをしています。
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