世界初!ヒスイをまぜた土間を仕上げたヒスイ工房誕生!・・・三和土と書いてタタキと読むむかしの土間
すべてに優先してきた足ギャラリー土間の三和土(たたき)工事の準備が掛け3ヶ月で完了。
地鎮祭のつもりで女友達のリエ嬢が開発した、ヒスイ粉末を練り込んだお香をたく。お香の台は20歳で初めての海外旅行した時にインドで購入した年代物。
ギャラリー内部は空っぽ。
高校の時に永六輔さんのエッセイに「てやんでぇ、こちとら水道の水で産湯をつかった江戸っ子でぇ!」といった江戸っ子自慢が、井戸水でも川の水でもなく玉川上水の水道水であったからと書かれていて興味をもち、調べてたことがある。
急激に人口がふえて江戸市中は、現在の下町エリアは井戸をほっても塩辛い水しかでなかったため、幕府が飲料水を確保するためにつくらせたのが玉川上水で、多摩川中流部から取水して総延長43キロ・高低差92mの配水勾配0,2%の厳しい条件を完璧な測量をしている。
また「水食い土」の関東ローム層であったので、赤土・消石灰・ニガリを練り混ぜた土を敲き締める版築工法で防水対策をしてあったと知り、いつかやってみたいと思い続けていた。

ただしニガリは高価なので、今回は融雪材用の塩カルシウムで代替する。どれもホームセンター購入品。

土を敲き締める道具は端材で自作
玉川上水ならずとも古民家の土間も三和土で仕上げられていることが多く、調湿作用と足当たりがいいとも聞き、三種類の素材を混ぜた土を敲き締めるから三和土と書いてタタキとと読むこの防水技術が、いつ頃からあったのか?
江戸時代に大量の消石灰をどうやってつくっていたのか?
具体的な測量方法は?
くわしいことはわかっていないようだが、幕府から請け負って成功させたのは百姓の親子だった。

工房ギャラリーの外はこの通り足の踏み場もない状態
明日の工事に備えて体力を回復するために今日は温泉で湯治だ。
工事直前にヒスイパウダーと砂粒状のヒスイを撒く予定だが、1,700前のヒスイ加工遺跡であり、弥生時代後期の方形周溝墓の真上でもあるので、先人たちへのご挨拶と供養の意味がある。
三和土にもヒスイパウダーと端材も混ぜるので四和土と書いてタタキとして差し支えないし、世界初であることは間違いないだろう。
投稿者プロフィール

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ヒスイの故郷、糸魚川市のヒスイ職人です。
縄文、ヒスイ、ヌナカワ姫の探偵ごっこをメインにした情報発信と、五千年前にヒスイが青森まで運ばれた「海のヒスイ・ロード」を検証実験する「日本海縄文カヌープロジェクト」や、市内ガイド、各種イベントの講師やコーディネーターをしています。
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