軍隊しか知らない閣下の戦後奮闘記・・・祖父たちの太平洋戦争
戦時中はエリートだった高級将校であっても、戦後は公職追放で就業先は限られ、生活に困窮する人や、平和な時代になじめず苦労する人が多かったと聞く。

新潟日報に連載中の河治和香さんのエッセイに、そんな人の戦後の奮闘記が書かれていて、ウルっときた。
河治和香さんは先日投稿した「松浦武四郎一代がいなもん」の著者なのだが、どんな縁で新潟日報にエッセイを書いているのかは不明で、そのうちにお会いできるだろうから聞いてみる。
大本営参謀という超エリートの経歴をもち、終戦時に陸軍少将だった加藤道雄さんは、5年間のシベリア抑留から復員して困窮し、現在の日本旅行社に平身低頭して営業職を得た。
兵士は口をきく機会も見ることもなく、雲の上の存在だった元陸軍少将が、学校に飛び込み営業をして、修学旅行を受注する平社員になったのだ。
加藤さんはかっての栄光を語らず、温厚篤実な人柄と粘り強さで懸命に仕事にとりくんだ。
なんど断られても日参して、根負けした学校側から企画書をもってこい!と言われると、翌朝には数種類の企画書を提出して驚かせ、徐々に真面目な仕事ぶりで信頼されるようになる。
加藤さんは軍隊式に水筒と雑納をたすき掛けにしたゲートル姿で修学旅行の引率していたらしいが、因縁をつける与太者を一喝して撃退するエピソードなど、元軍人の実直さと気骨を感じる。
ある時、通りすがりの紳士が、修学旅行を引率する加藤さんをみつけるなり、直立不動で「加藤閣下!」と敬礼してから、社内で戦時中の身分が知られるところとなり、あだ名が加藤閣下になった。
余談だが、加藤さんの陸軍大学校の同期だった、悪名高い辻正信参謀の終戦時の階級が中佐なので、同期より二階級も出世した有能な軍人であったようだ。
戦後もつづいた「祖父たちの太平洋戦争」の物語
次回の連載が楽しみ。
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投稿者プロフィール

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ヒスイの故郷、糸魚川市のヒスイ職人です。
縄文、ヒスイ、ヌナカワ姫の探偵ごっこをメインにした情報発信と、五千年前にヒスイが青森まで運ばれた「海のヒスイ・ロード」を検証実験する「日本海縄文カヌープロジェクト」や、市内ガイド、各種イベントの講師やコーディネーターをしています。
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