ヒスイでつながるヌナカワ姫と丸木舟・・・週末のイベント案内
土日に開催される糸魚川のイベント情報

「出雲口伝」に記述されたヌナカワ姫伝説の語り部をしている、のりぃさんのお話し会と、地元のリエちゃんの音楽、信州の青木夫妻のアートの集い。

「出雲口伝」のヌナカワ姫伝説と糸魚川のヌナカワ姫伝説は、かなり違うようなので興味津々。
古文書はいつ・誰が・なんのために書いたのか?あるいは編纂したかが問題だし、史実そのままを伝えているとは限らないのだけど、文書記録ではない口伝・口碑・口承の類いなら猶更だから、わたしは物的証拠となる考古学の知見を骨組みとして、ヌナカワ姫伝説が肉付けできるかの検証をライフワークにしている。
「出雲口伝」を読んだことはないが、出雲の人々のルーツを紀元前の徐福に求める記述があるらしいので、個人的には後世の創作の可能性を感じていて、記述されたヌナカワ姫の伝説も事代主神と結婚して東出雲に暮らしていたことになっているらしい。
最近は歴史とは、史実をもとにして、後世に加えられた口伝や口碑、個人の歴史解釈(歴史観)もふくめた曖昧模糊としたアウトラインをもつもの、と思うようになっている。
例えば「南京虐殺」はなかったとする右派政治家や論客、インフルエンサーがいるが、「日本軍側の記録や証言を立証すつと疑いようもない史実だが、中国側が公表する犠牲者の人数が40万人は多すぎる」といった蓋然性を無視して、史実を無かったことにするのは如何なものか。
このような偏向した歴史観をもつ人が増えると、いよいよ「歴史なるもの」の内実は危うくなってきて、100年後にはどんな解釈になってるのだろう?と暗澹とする。
史実の行間を読み取るのは個々の歴史観であって、歴史観がちがえば解釈もちがってくるし、最初から結論ありきの強引な歴史改竄の風潮が看過できないレベルになっている。
ましてや先史時代の史実は考古学の物的証拠以外のモノガタリについては、誰にもわからないのが本当といったところで、歴史=史実とは言えないのではないか?
正解(史実)を証明できないから安易に「ヌナカワ姫伝説の正解はこれ!」と断言せず、考古学の立証や民俗学の比較により、蓋然性を高めているのですね、わたしは。蓋然的推論というやつ。
糸魚川では馴染のない「出雲口伝」で語られるヌナカワ姫に興味のある方はぜひとも!

残念ながらわたしは土曜日開催の「マリンスポーツフェスティバル」で丸木舟をだすので、天気次第では土日とも拘束されて顔をだせるか微妙だ。
今のところ土曜日の午後から大雨の予報なので、土曜は待機、日曜に開催になるのではないかな。
昨年のイベントで主催者のマリンスポーツ財団の方々が、わたしが自作した丸木舟「ヌナカワ丸」を観て、「これ個人がつくったんですか!」と驚いて、今年のイベントに参加要請があったようだが、全国の海洋高校に乗ってもらえると、宿願の佐渡航海への弾みになるかも知れない。
なにより各地にヒスイを運んだ「海のヒスイロード」の出航地が、糸魚川という歴史を知ってほしい。
山の縄文人にとって海は陸地の終わり。
でも海の縄文人にとっての海は世界への玄関口。
消滅危機市町村の糸魚川市民にも、世界につながっていたご先祖の気宇壮大な偉業を知ってほしいものだ。
関係者の誰も気づいてないと思うが、ヌナカワ姫伝説と丸木舟はヒスイが共通しているキーワードなのだ。
投稿者プロフィール

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ヒスイの故郷、糸魚川市のヒスイ職人です。
縄文、ヒスイ、ヌナカワ姫の探偵ごっこをメインにした情報発信と、五千年前にヒスイが青森まで運ばれた「海のヒスイ・ロード」を検証実験する「日本海縄文カヌープロジェクト」や、市内ガイド、各種イベントの講師やコーディネーターをしています。
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