縄文時代の除雪事情は如何に?・・・雪国の民具
除雪するたびに、縄文時代はどうやって除雪してたかが疑問で、学芸員さんに聞いて回っても、考えたことなかったけど、そういえばそうですね!と、みなさん首を傾げる。
地元の学芸員さんは、中期の長者ヶ原遺跡はなので雪は多くなかったんでしょうねぇと言っていたが、沿岸部の中期中葉~後葉の六反田南遺跡や、後期~晩期の寺地遺跡はどうなる?

わたしの子供時代は、糸魚川市の沿岸部も玄関前の雪を階段状に掘らないと、隣りの家にさえ行けなかったこともあるくらいの雪が積もっていた。

民具が好きな人にとって、十日町市立博物館が出版した「雪国十日町の暮らしと民具」は、非常にいい参考書。残念ながら絶版なので、図書館や古本を探してくださいな。前から二人目の女の子が着ているのがスゲボウシで、30歳くらいの時に信州の渋温泉の近くで着てあるいている人を見たことがある。
地下水位以下の低湿地遺跡からは植物繊維製のポーチ類の残滓や木製品は出土しても、元祖スコップのコスキ(木鋤)やカンジキ、ミノ、雪除け外被のスゲボウシ(藁製はワラボウシ)の類いは、いまだ出土していない、というか残り様もないのだろう。

こちらが木でつくった鋤だからコスキで、同じ新潟県内でも十日町ではコシキと訛るようだ。雪山を歩く時の杖や橇にも使われ、山間部には軽くて使いやすいからと、いまだ愛用している小滝区のお年寄りに会ったことがある器多様なスコップ。
例えば大雪の時に家族が亡くなったら、除雪具がないと埋葬もできないし、数年に一度レベルの豪雪で3~4mも積もっていたら雪の中に仮埋葬して、雪解けを待って本埋葬するしかなかったのかも?
最近は冬季用の土屋根の竪穴住居が復元されるようになったが、丸木舟のパドルは出土しているのだから、コスキも出土してもよさそう。

富山市の北代遺跡に復元された土屋根式の竪穴住居。糸魚川の長者ヶ原遺跡の20号住居も土屋根であったことが推測されているのだが、現時点で発掘されている24棟の住居跡で1棟だけ土屋根というのも謎。
どなたか博物館で、写真右上のコスキ状の遺物を見た方がいたら、教えてください!
投稿者プロフィール

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ヒスイの故郷、糸魚川市のヒスイ職人です。
縄文、ヒスイ、ヌナカワ姫の探偵ごっこをメインにした情報発信と、五千年前にヒスイが青森まで運ばれた「海のヒスイ・ロード」を検証実験する「日本海縄文カヌープロジェクト」や、市内ガイド、各種イベントの講師やコーディネーターをしています。
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