共に歩むボランティア・・・「寄りそう正月モチ2025年」

1年ぶりに能登に来て、二泊三日の強行軍で「寄りそう正月モチ」600世帯分を配って歩いていた。

能登町柳田の「むらのもちや」さんに引き取ったモチは600世帯分の6,000個。荷物を穴水のボランティア拠点に置いてきたらソリオに全部積めたので、門前町浦上公民館→七浦公民館→名舟地区の南志見へと一筆書きで回れた。

仮設団地の集会所でもある浦上公民館では、館長の計らいで仮設団地の住民が手伝ってくれて仕分け。公民館や自治体のリーダーは年功序列で選ばず、公徳心があり公明正大で道理をわきまえた方を選びましょうねぇ。

多くの人々の浄財でまかなった「寄りそう正月モチ」であることを知ってもらうために、由来を書いたメッセージを輪ゴム止めするのも大事だから手伝ってもらった。

門前町の七浦と浦上仮設団地は、頼れる自治会リーダーがいて、敷地が広く、同じ地区の被災者でまとまっている理想的な仮設団地。市街地の仮設団地だと雑多な地区の被災者が抽選で入居しているので、住人同士が見知らぬ仲だったりで孤独感があったり、自治会がなかったり、あっても機能していなかったりするから、検討してほしい課題。

名舟の仮設団地に配布時間の15分前に到着したら、すでに玄関に長蛇の列ができていて、「昨日から待っとったわいね」と老婆が歯のない口をあけて笑った。

「みなさん!わたしの祖先に上杉謙信の家臣がいます!御陣上太鼓のきっかけになった、越後軍の子孫が先祖の罪滅ぼしでモチを配りに参りましたぁ!」と挨拶したら、どっと笑いがおこった。

和気あいあいとしたニコニコの恵比須顔を、協力してくれた人たちに見せてやりたい。

同じ地区でも仮設団地にはいらず、様々な事情から損壊した自宅や親戚の家に漏れなく支援物資を配る心遣いは重要だから、自治会側でチェックして、すべての住民に届けてもらえる依頼をうけてくれる自治会を厳選。

行政が間に入ると「ボランティアは自己完結」が基本だから、被災者に手伝ってもらうわたしの方針はNGだ。

しかし支援する人と受ける人といった一方的な関係から、一歩すすめて共に活動をすることも生活再建を目指すうえで大事だから、協力してくれる自治会でないと成り立たないのが、わたしのボランティアの流儀。

せっかくモノ支援や炊出しボランティアをしても、近隣で支援がいきわたらない人に不公平感や孤立感を持たれてしまうのだが、そこまで考えているボランティアはどれだけいるだろうか?

後発の個人ボランティアは、NPOボランティア団体のSNS情報だけを頼りに動いてしまうと、同じ場所ばかりに支援が集中してしまう問題が実際にある。現地で聴き取り調査して、支援の網から漏れた部分を補ってほしいネ。

補足すると、能登を代表する伝統芸能の「御陣上太鼓」は、来襲した上杉軍の軍船を漁民たちが撃退したことが発端で、わたしの祖先に関東管領の上杉憲正の配下として1558年の北条氏と戦いに敗れ、臣下ともども謙信を頼って越後落ちした、野本徳右衛門なる坂東武者がいて、能登侵攻はその後だからご先祖が軍船に乗っていた可能性はあるネ。

仮設団地をモチを配ったあとに、漆器を代行販売させてもらっている被災者家族に会計報告をかねてモチを渡し、被災した親族や友人知人分も分けて配ってもらう。

いつもは何軒もまわるので、漆器販売関係先での滞在時間は30分以内だが、夕方のいちばん最後に来てくださいと言われた漁師さん一家は、晩ごはんを用意してくれていた。

基本的に被災者に負担をかけたくないから飲食のお誘いは固辞しているが、2年越しの付き合いで気心が知れているから、気は心でありがたく頂く。

豪快な漁師さん一族の夕食はにぎやかで楽しい。寒ブリ美味し。

「能登はやさしや土までも」・・・みんな優しくて親切だ。

3日目は珠洲市・能登町・能登島のご縁ができた被災者をまわり、深夜に帰宅。

昨年のように帰宅した翌日から寝込むようなことはなかったが、とにかく眠いから年内は休息だ。

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投稿者プロフィール

縄文人見習い
縄文人見習い
ヒスイの故郷、糸魚川市のヒスイ職人です。
縄文、ヒスイ、ヌナカワ姫の探偵ごっこをメインにした情報発信と、五千年前にヒスイが青森まで運ばれた「海のヒスイ・ロード」を検証実験する「日本海縄文カヌープロジェクト」や、市内ガイド、各種イベントの講師やコーディネーターをしています。

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