太平洋戦争の敗因は物量差にあらず・・・吉田悟著「ビルマ戦補充兵」
太平洋戦争の敗因を「圧倒的な物量差」とする人が多いが、そんなことは日中戦争前からわかっていたことで、それでも戦争をしてしまった軍部と右派政治家の冒険主義的な野心こそ、国家をミスリードした原因なのだ。
戦争の勝敗は物量差のみならず、国際協調を重んじる外交、長期的な戦略計画を立てた上で柔軟な対応をする文民統制された軍隊が必須で、生産性を含めた国力で決まるのだが、当時の日本にあったのは夜郎自大な民族主義と極端な精神主義だけではなかろうか。

本書は長崎県の菊兵団の通信兵としてインパール戦・ビルマ戦に従軍した戦記だが、当時の日本軍の通信手段は40年前の日露戦争の時と同じく、通信兵が電話線を前線から司令部まで人力で配線していたから、砲撃をうけるたびに混線したり、断線を修復していた。電話線が断線しては司令部の撤退命令が前線にとどかないから、組織的な戦闘が不可能になっても前線にとどまって全滅する部隊もあった。
ところが連合軍は小隊単位で、無線機をつかい連絡をとりあっていた。
最も小型の無線機が、トランシーバーの元祖ともいえる、TVドラマ「コンバット」にでてくるハンドトーキーだ。
将兵の移動と物資輸送は日本軍が徒歩に対して、連合軍はトラックと空輸。
食事は日本軍の飯盒炊飯に対し、連合軍はパラシュート降下された缶詰めのレーションだから、煮炊きする必要はなく、日本兵が飯を炊く煙が連合軍の砲爆撃の標的になった。
日本軍は連合軍の戦車に火炎瓶と手榴弾で立ち向かってもいたし、日露戦争の後に配備された単発込めの三八歩兵銃に対し、連合軍の歩兵はバズーカ砲や自動小銃だったので、物量差だけでなく兵器までが40年も時代遅れだったのが日本軍。
近代兵器に精神力で勝てる訳がないから、日本軍は将兵の献身と犠牲で補っていた訳。
著者はわたしの祖父と同じ戦域で戦い生き残って捕虜になったが、配給された連合軍のレーションは、見たことも食べたことのないご馳走だったそうだ。
その一方で連合軍側の捕虜は、竹やしなびた野菜、魚のミイラを食わされたと、戦後に捕虜虐待を訴えたが、日本兵が現地調達して食っていたタケノコと沢庵、干物が、その正体。
名古屋空襲では撃墜され、生きる望みのない重症をおったB29の搭乗員に対し、武士の情けと日本刀で首を斬って息の根をとめた将校は、戦犯として絞首刑になった。
文化の違いを理解してもらえないもどかしさ。連合軍から見たら日本人は野蛮だと偏見があったのは、平和的な外交努力が足りなかったのだし、士官学校でさえも国際法を教えなかったのだから、太平洋戦争は近代と前近代の戦争ともいえる。
兵站と兵力差を無視した数々の無謀な作戦により、戦死者の内訳は餓死者と傷病者が7割を占めたが、作戦が失敗すると連合軍の参謀や司令官は軍事裁判のうえで更迭・降格・予備役になるのに、日本軍では罰せられることはなく、むしろ栄転してゆく不思議な軍隊でもあったのは、上官の経歴に傷がつくので穏便に済ますという自浄作用がなかったということ。
これらはすべて軍上層部が、勲章ほしさの冒険主義と時代錯誤の精神主義によりおこった悲劇。
外交問題を客観視せず感情論を振りかざし、高市政権や極右政党を支持する人が多い世相に、似た匂いを感じる。
#インパール戦 #ビルマ戦 #時代錯誤だった日本軍 #敗戦は物量差のみに非ず
投稿者プロフィール

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ヒスイの故郷、糸魚川市のヒスイ職人です。
縄文、ヒスイ、ヌナカワ姫の探偵ごっこをメインにした情報発信と、五千年前にヒスイが青森まで運ばれた「海のヒスイ・ロード」を検証実験する「日本海縄文カヌープロジェクト」や、市内ガイド、各種イベントの講師やコーディネーターをしています。





