これを知って核武装を言えるか?・・・ジョー・オダネル写真集「トランクの中の日本」

「核武装は最も安上がり」と公言する極右ポピュリズム政治家の登場に次いで、自民党内の核武装論議がスクープ!

90年代からは「南京事件はなかった」「太平洋戦争は自存自衛の戦争だった」など、トンデモ歴史を公言する保守政治家が出てきたが、自分で調べもせずに史実を都合よく解釈し、極右思想の仲間内でしか通じない歴史認識と言わざるを得ない。

「戦争を知っている世代が政治の中枢にいるうちは心配ない。戦争を知らない世代が政治の中枢になってからが危ない」と言った(らしい)の田中角栄の言葉通りになってきたではないか。

いまいちどヒロシマ・ナガサキを学びたく、海兵隊カメラマンとして来日し、「焼き場に立つ少年」を撮影したジョー・オダネルの写真集「トランクの中の日本」を買った。

オダネルの代表作になっている「焼き場に立つ少年」は、ローマ法王により反核メッセージとして世界中に知られるようになった。少年の消息については様々な推測があるが、NHKの調査により少年も被爆していることが判明している

オダネルはサイパンから本土攻撃にむかう海兵隊の輸送船の中で、ヒロシマ・ナガサキへの原爆投下により日本が無条件降伏したことを知り、戦争は終わったと躍り上がって喜んだ。

しかし記録カメラマンとして焼け跡に立ち、多くの日本人と出逢うなかで、オダネルの敵愾心は揺らいでいった。

被爆者を収容した病院を訪れた時、全身火傷が化膿してウジにたかられ死をまつだけの患者から、「殺してください・・・殺してください・・・あなたの敵です・・・殺してください」と、悪夢のように囁かれ続け、翌日に再訪して亡くなったことを知る。

言語に絶する被災地の惨状を目の当たりにしたオダネルは、自責の念からプライベートで撮影したネガはトランクに封印したし、帰国後は原爆症にも苦しんだ。

オダネルが45年の歳月を経てトランクの封印を解き、核廃絶運動をはじめた理由は、原爆投下の正当性を当然のように考えるアメリカ人に黙っていられなかったからだ。

勇ましいことを言う前に、この写真集を手にして学んでほしい。

イスラエル軍がガザを爆撃したクラスター爆弾は、水をかけても燃え続ける黄燐が、無辜のパレスチナ人を焼きながら悶絶死させた。子供も老人も無差別に焼き殺された。

今でもベトナムやカンボジアの田舎に行くと、50年も前にばらまかれた対人地雷で足を吹き飛ばされ、松葉杖をついて歩く子供をたまにみる。戦争終結後のウクライナも同じだろう。

首だけになったコンクリート製のキリスト像は、被災者によって「無言の証人」として焼け跡を見守る位置に置かれていた

本書には書かれてないが、広島の捕虜収容所には米軍人も爆死したことや、長崎に駐留した米軍は狂信的な異教徒だと思っていた日本に教会があることに愕然としたと聞く。「得体の知れない野蛮な異民族」には原爆投下できても、自分たちと同じ人間と捉えるとどうなのか?

お互いを知るための文化交流が平和の糸口ということで、学徒出陣の予備士官として特攻隊員に任命され、生き残った茶道裏千家家元の千玄室さんは、そのことを痛感して戦後は茶道を通じた平和外交を亡くなるまで続けていた。

核兵器のみならず通常兵器も殺人道具であることは変わらないし、爆弾は殺す対象をえらばないことを知るべき。

だから核兵器廃絶から一歩すすめて戦争反対へ!

なんども書く・・・「安全圏にいる人の言うことは聞くな、が大東亜戦争の教訓」

特攻をはじめた第一航空艦隊で副官をつとめ、特攻の内実を見てきた門司親徳氏の遺言。

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投稿者プロフィール

縄文人見習い
縄文人見習い
ヒスイの故郷、糸魚川市のヒスイ職人です。
縄文、ヒスイ、ヌナカワ姫の探偵ごっこをメインにした情報発信と、五千年前にヒスイが青森まで運ばれた「海のヒスイ・ロード」を検証実験する「日本海縄文カヌープロジェクト」や、市内ガイド、各種イベントの講師やコーディネーターをしています。

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