飢餓の戦場で芝居をした俳優たち・・・「南の島に雪がふる」
俳優の加東大介は、戦時中に陸軍下士官としてニューギニアのマノクワリにいた。

しかし戦争末期になるとマノクワリは孤立し、飢えとマラリアに苦しむ部隊では、わずかな食料をめぐって喧嘩沙汰やギンバエ(泥棒を意味する符牒)が横行した。
軍紀の乱れを憂慮した司令部から、将兵慰安のために演芸分隊の設立を加東が命じられ、復員するまでを書いた回顧録が「南の島に雪が降る」で、映画やTVドラマ、芝居にもなったのでご存じの方も多いだろう。

映画は豪華キャストの人情コメデイ調の作品だが、軽く淡泊な内容なので、原作を読んでいないと魅力は半減するかも知れない。

大物喜劇人を動員しながら活かしきれてない印象。山本薩男が監督したら、もっと重厚な映画になるだろうし、岡本喜八が監督したら、シリアスとギャグが交互に出てくる軽快な映画になるかもネ。

原作は文庫化されており、加東の誠実さがにじみ出た、わかりやすい文章なので、未読の方はぜひとも。
規模の大小はあれ、元将兵の戦記には同様なことが出てくるが、映画俳優では池部良がインドネシア、殿山泰司が中国で演芸分隊の設立を命じられたことが、それぞれの著作で書いている。

戦前から売れっ子俳優だった池部良は、晩年まで名優として第一線で活躍していたが、戦後は軽快で巧な文章で随筆家としても名を残した。岡本太郎は従兄で、徴兵されてしょんぼり歩く岡本と戦地で会ったことも書き残している。

名脇役だった殿山泰司も文章が巧みで、「裸の島」のロケの時に台本の隅に落書きされた呟きを見た新藤兼人監督がその文才を見出し、随筆家やジャズ評論家にもなったが、自分の文章に自分でツッコミする殿山の文体は、80年代にジャズピアニストの山下洋輔、椎名誠、嵐山孝三郎らに継承・発展されて「昭和軽薄体」と呼ばれ、高校時代のわたしも影響されたw
陸軍は兵站(輸送)を軽視する傾向があり、長期戦となると糧秣(食料)は現地部隊に「自活自給」を求めることが常態化していた。
近年の研究ではアジア太平洋戦争の戦死者の6割が餓死とされているが、戦域によっては7割が餓死と栄養失調による戦病死と推測されている。
中国にいた殿山も飢えに苦しんだが、南方にいた加東と池部の部隊はもっと深刻で、制空権・制海権とも米軍にあり、一切の補給が途絶えた孤軍となっていた。
しかし、もっと酷い部隊もあった。1943年に戦勢挽回を企図して戦域を縮小した「絶対国防圏」が設定され、その圏外の部隊は全滅するまで死守せよと見捨てられていたのだ。
こういった事情がわかってないと「戦地で芝居をして将兵を励ました映画人」といった平明な解釈となり、ことの深刻さが曖昧になってしまう。
加東と池部の部隊の所在地を調べると「絶対国防圏」内にあったようだが、補給が途絶えて孤立していたことにはかわりはない。
彼らは「いつか友軍が救援にくる」と一縷の望みをもちながら、米軍が上陸してきたら全滅するであろうといった絶望的な状況下にあったのだ。
そういった部隊では空襲の合間にジャングルを開墾してサツマイモをつくったが、次第にサツマイモはやせ細り、演芸分隊設立時には茎のような芋が日に数本だけ支給される飢餓状態となっていた。
食うや食わずで明日をも知れず、全滅をまつばかりの将兵たちにとって、演芸分隊の設立は生きる希望となり、我も我もと入隊希望が殺到した。
大工出身の兵隊は芝居小屋をつくり、指物師だった兵隊は長火鉢をつくった。
友禅職人の兵隊はパラシュートを染め、その布で和裁師の兵隊が着物をつくった。
脚本を書いていた将校もいたし、ブリキ缶でつくった三味線や、馬の尻尾やほぐしたロープでつくった島田髷のカツラまで揃った本格的な芝居だったそうな。
歌舞伎座風の立派なマノクワリ劇場が、忽然とジャングルに出現したのである。
白粉かわりに顔にメンタムを塗り、シッカロールをはたいて白塗りにした女形の若い兵隊はアイドルとなった。
調子にのって内股まで白く塗り、わざとよろける芝居を大げさにした時、将兵たちは白い内股が「見えた!」と、どよめいた。
男所帯の同性愛などではなく、将兵は女形に、内地の母や妻、姉妹や娘を投影していたのだと加東は書いている。
映画では描かれてないが、微笑ましくも哀しいいエピソードが原作には書かれている。
口を聞くこともない偉い将校が女形の兵隊を訪ねてきて、「なにが食べたい?」と聞き、「お魚かなぁ」と答えると「魚はムリだなぁ・・・そうだ、これならどうだ?」と、おそらくは帰国できたら子どもへの土産にと、大事にとっておいたカビだらけのチョコレートをポケットから出して渡したそうだ。
職業軍人といえども、家に帰れば人の子、人の親・・・。
栄養失調で危篤状態の戦友に「おきろ!今日は演劇分隊の公演だぞ!」と怒鳴ったら、起き出して生きのびたなんて逸話もある。
幸か不幸か、米軍は「飛び石作戦」をしたので、加藤と池部のいた地域に米軍は上陸せず、飢餓とマラリア・アメーバ赤痢・デング熱などの南方特有の疾病だけが脅威になった。
終戦を境に灯火管制が解除されてマノクワリ劇場に電灯が灯った時、将兵たちから「お~!」と歓声が挙がり、涙を流して戦争が終わったことを実感した。
涙なくしては語れない映画の題名については語るまい。
国家に見捨てられた将兵の悲愁と、希望を灯した映画人の物語。
将兵が芝居に見出した生きる希望は、望郷の念であった。
*戦争映画の投稿には、生半可なミリタリーオタクが、SNSでひろったような事実誤認の荒しコメントをしてきます。
「爆撃積載量」などといった、意味のわからない軍事用語をつかった荒しコメントには失笑しましたが、投稿内容に疑問をもったらSNSではなく回顧録や研究書を読んで調べてくださいネ。
#南の島に雪が降る #飢餓の戦場で芝居をした俳優たち #加東大介 #池部良 #殿山泰司 #絶対国防圏の圏外の見捨てられた日本軍 #アジア太平洋戦争の戦没者の6割以上が餓死
投稿者プロフィール

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ヒスイの故郷、糸魚川市のヒスイ職人です。
縄文、ヒスイ、ヌナカワ姫の探偵ごっこをメインにした情報発信と、五千年前にヒスイが青森まで運ばれた「海のヒスイ・ロード」を検証実験する「日本海縄文カヌープロジェクト」や、市内ガイド、各種イベントの講師やコーディネーターをしています。
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