10mの高波が糸魚川を襲った日・・・「防災の日」に次世代に伝承する「糸魚川高波災害」
小学1年の冬の夕方、家族そろって晩ご飯を食べていると、消防の防災スピーカーから高波注意報が聞こえてきた。テレビで「巨人の星」を見ていた記憶がある。
母からいつでも避難できるようにと言われたので、箸をとめて台所で水筒に水を詰めて居間にもどり、「いつ逃げるの?」と聞いたら、気が早すぎると笑われ、緊迫感が和らいで団欒がもどった。
一夜開けて、オヤジと家の裏に海を見にいったら、近所の人も集まっていた。

白い波頭をなびかせた高波がゴ~と地響きをたてながら防波堤にぶち当たり、盛大に砕け散っては越水するのを見ていたら、かなり離れた場所の防波堤が一ヶ所決壊すると、つぎつぎと将棋倒しに壊れていくのが見えた。
現在は国道8号線バイパスになっている海岸段丘の下段だ。

恐ろしい光景だったが、波があがってこない段丘の上段にいたし、大人たちが、スゴイことを意味する方言の「やぁ~!やっさしなもんじゃないちゃ!」と面白がっていたので、スペクタクル映画を見てる気分だったことを覚えている。
記憶を頼りにネット検索したら、大型低気圧が太平洋にぬけた後、南から吹き込んだ暖気が吹き返しの風を台風なみに発達させた爆弾低気圧により、10m近い波浪が糸魚川・青海の沿岸を襲った1970年1月31日~2月1日の「糸魚川高波災害」だった。

突然やって来る津波とちがい、予測できる高波だったので幸いに死者はなく、防波堤の決壊は3キロに及び、青海区の保育園や市営住宅の20棟が倒壊・流失している。
この災害を教訓として、全国の海岸に消波ブロックが設置されるようになったそうだ。
後日に学校の視聴覚室にクラス単位で集められ、決壊していく防波堤や倒壊する家屋の8㎜映像を見て、災害の全貌を知った。
明治生まれの祖母によると、かっては加賀街道(当時の国道8号線)ちかくまで浸水する高潮災害もあったそうだ。
この頃から津波や高波の夢をよく見るようになり、パニック映画を観たり、サバイバル本を濫読するようになったから、かなりのトラウマだったのだろう。
今まで大型低気圧が太平洋側に抜けると安心していたが、吹き返しの風も要警戒ということ。
また、こんな時に巨大地震がおこったら、被害想定+αの津波が到来するから、ハザードマップを過信しちゃダメ。
単純計算をすると、糸魚川市街地の想定津波高さ7m+「糸魚川高波災害」の高波10m=17mとなり、河川をせり上がる「遡上津波」は中流域までを浸水し、糸魚川市は壊滅すると思う。「海底活断層F41」が本震だと津波到達まで5分しかないから、逃げる余裕などはない。
天文学的確率でも起こる時は起こるし、人間に都合よく災害は起こってくれず、いつだって無情であり、自然の脅威の前では人間は無力なのだ。
ネパールの大洪水や、東日本大震災の津波の映像を心に刻み、我が身に襲いかかる可能性があることを肝に銘じておいてほしい。
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投稿者プロフィール

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ヒスイの故郷、糸魚川市のヒスイ職人です。
縄文、ヒスイ、ヌナカワ姫の探偵ごっこをメインにした情報発信と、五千年前にヒスイが青森まで運ばれた「海のヒスイ・ロード」を検証実験する「日本海縄文カヌープロジェクト」や、市内ガイド、各種イベントの講師やコーディネーターをしています。





