勘兵衛が陪審員8番だったら?・・・映画「十二人の怒れる男」その2

映画「十二人の怒れる男」をFacebookの映画好きコミュニティサイトに投稿したら、大バズリして100件以上もコメントがきたなかで、キラリと光り「座布団いちまい!」と感激したコメント!

本作は人種差別が露骨だった50年代のアメリカで、殺人事件の容疑者として逮捕されたのが貧困層のラテン系の少年で、評決する陪審員は全員が白人だから、最初から有罪の評決になる可能性は高い設定。

最終的に全員一致で無罪評決になるのが「十二人の怒れる男」のストーリーで、「少数意見を蔑ろにしない」民主主義の見本のように評価されているのだが・・・。

ところが大人になって観たら、ヘンリーフォンダ演じる「陪審員8番」が、いわゆる蓋然的推論的に疑問点を洗い直し、最後に陪審員たちが全員一致の無罪評決に至ってはいるが、状況証拠と証言の矛盾だけが焦点になっているので、陪審員の視点から「無罪の可能性が高くなっただけ」で、法的な立証とはいえないのですネ。

無罪判決を言い渡された容疑者がニヤリと笑うシニカルな結末にすることも可能な内容で、本作は民主主義や陪審員制度の危うさをも問いかけていると感じるようになった。

「座布団いちまい!」のコメントは、黒澤映画「七人の侍」の勘兵衛の逆では?といった内容で、えっ、どういうこと?と意表を突かれた。

勘兵衛は村全体を守るために村はずれの三軒の家を見捨てる非情な作戦をたてるが、勘兵衛が陪審員8番だったらどんな結末になっていた?・・・(おお!スバラシイ発想!)

陪審員8番の粘りが有罪を無罪にしてしまった可能性があるので、少数意見を聞き入れる危険性もあるのでは?民主主義の危うさがここにあるのでは?といった主旨で、まさしく我が意を得たりと、いいねの💖マーク!

もちろん平時と有事の判断はちがうし、時には少数意見を聞かない決断もあり得るので、そこも含めてケースバイケースで柔軟に対応するのも民主主義。

投稿した方は荒しコメントと認識されて炎上しやしないかと思っていたそうだが、視点のちがう感想や見解を理知的かつ建設的に交換できることが民主主義の強みであって、創造的行為に昇華しているよね、と実に爽やかな気分。

ここで重要なのは、二項対立的に他者の意見を否定しないこと。

明暗のコントラストは視点がかわると逆転することもあり、できた闇の「一隅を照らす」ことも必要だ。

またグレーゾーンをも見逃さない柔軟な対応をすることで、こういった姿勢がないと民主主義は機能しないのでは?と、本作から考えさせられたのでございます。

あくまでも個人的な学び。

以下は不特定多数の人が読むFacebookのコミュニティサイトの最後に書いている荒しコメント防止策です

*映画のテーマや投稿の主旨に沿ったコメントは歓迎ですが、「ここは映画好きのコミュニティサイト!政治の話を書きたいならご自分のアカウントでどーぞ」といったお𠮟りをされる方は、政治向きの話は一切していないし、あくまでも映画のテーマに対する個人的な見解ですのでスルーしてください。また投稿の主旨から外れた独自説の披露をしたい方は、ご自分のアカウントでどーぞw

#十二人の怒れる男 #民主主義とは #十二人の怒れる男で学んだ民主主義の在り方 #志村喬 #ヘンリーフォンダ #十二人の怒れる男と七人の侍

投稿者プロフィール

縄文人見習い
縄文人見習い
ヒスイの故郷、糸魚川市のヒスイ職人です。
縄文、ヒスイ、ヌナカワ姫の探偵ごっこをメインにした情報発信と、五千年前にヒスイが青森まで運ばれた「海のヒスイ・ロード」を検証実験する「日本海縄文カヌープロジェクト」や、市内ガイド、各種イベントの講師やコーディネーターをしています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です