「総ての責任はもつ」・・・阪神淡路大震災の教訓

阪神淡路大震災の教訓のひとつが、当時の村山内閣の初動の遅れを、野党だった自民党が政権交代の機会とばかりに揚げ足取りに時間を費やし、救援・復旧・復興に支障がでたこともある。

当時はインターネットが普及しておらず、惨状の全容がつかめなかったし、被災地には情報発信や救援を求める手段すらなかった。

内閣が事態の深刻さを知ったのは夕方近くになってからで、神戸で被災した高見裕一衆議院議員の携帯電話による救援要請だった。

当時は広域激甚災害の対応が未整備だったし、縦割り行政がネックとなったので、自民党政権でも同じ結果であったろうとするのが、客観的な災害史の認識だ。

阪神淡路大震災をふりかえった著書「官災・民災 この国の責任」の中で高見裕一衆議院議員は、当時のがんじがらめの縦割り行政における村山内閣の対応を評価している。

「自治体の首長は中央にパイプのある自民党を!」といった考えは、能登半島地震の対応を振り返っても、幻想であったことは自明。

作家の浅田次郎は若い頃に自衛隊員で、都内の豪雨災害の緊急出動をしたことがあるそうだ。

自衛隊法には、被災自治体首長の要請を待たずとも、緊急救援出動ができる条文があり、それを知ってか知らずか、東京都知事の要請を待たず、トップダウンで自衛隊を出動させたのが、支持者から河川が氾濫していると通報をうけた田中角栄総理だった。そして自衛隊たちが孤立した住民をおぶって避難させ、人身事故は防げた。

職権を乱用されては困るが、未曾有の大災害では法整備以前に、リーダーの危機管理意識、「一切の責任はオレがとる!」といった迅速果断な行動力こそが、問われた見本ではないか?

阪神淡路大震災、東日本大震災、総理大臣時代の田中角栄なら、どう動いた?こういった問い掛けは重要。

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投稿者プロフィール

縄文人見習い
縄文人見習い
ヒスイの故郷、糸魚川市のヒスイ職人です。
縄文、ヒスイ、ヌナカワ姫の探偵ごっこをメインにした情報発信と、五千年前にヒスイが青森まで運ばれた「海のヒスイ・ロード」を検証実験する「日本海縄文カヌープロジェクト」や、市内ガイド、各種イベントの講師やコーディネーターをしています。

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